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ジャカルタの渋滞とオフィスの立地を考える

2014年1月にジャカルタ南東部に新しいオフィスを構えましたので、その経緯をお話しようと思います。

2005年に最初に進出したときにはジャカルタ中央部の目抜き通りであるタムリン通りにある日系のスカイラインビルディングにオフィスを構えました。

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たまたま同ビルの4階にある日本食レストラン蘭のオーナーの石居さんが私の母が以前勤めていた会社の社長さんでもあるというご縁から紹介いただき、スディルマン通りにある同じく日系のスミットマスと比較して、すぐに入居を決めました。

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未来に向けて~ジャカルタ撤退の話(最終話)

Mさんがジャカルタに設立した会社とは、その後しばらくは一緒に開発を進めたのですが、お互いの事情でなかなかうまく進みませんでした。

2年ほどたって、共同での開発を終了させることになり、東京とジャカルタで別々に戦うことになりました。

それから5年ほど経った2013年7月、私はジャカルタを訪れました。目的は再進出のためです。

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一縷の望みを託して~ジャカルタ撤退の話(4)

「私たちはいつか必ずジャカルタに戻ってきます。」

これが、私の子会社の社長としての最後の言葉でした。

今回のジャカルタ滞在には子会社の解散以外にもう一つ裏の目的がありました。それはジャカルタでの開発を継続することです。今まさに解散の手続きを進めている以上、表だって進めるわけにはいきませんでしたが、何人かに開発を継続できないか打診していました。

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いつかジャカルタに戻ってくるためにも私たちのDNAをタイムカプセルに入れて残しておきたかった。

そうはいっても、今すぐは何の支払いもできませんし、保証もできません。まったくもって都合の良いお願いだったと思います。もちろん、無理な話というのは私も重々承知していました。

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ジャカルタ撤退の話(3)

シンガポールからジャカルタへのフライトは1時間ちょっとです。前日からの疲れと出発前の騒動が重なってか、目が覚めたらスカルノハッタ国際空港でした。

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平日だと激しく渋滞する高速道路も日曜日のためか、うそのように空いていて、市内まで20分くらいで到着しました。そのままマネジャーの2人と話をして、今後の段取りについて打ち合わせしました。

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ジャカルタ撤退の話(2)

シンガポールのチャンギ国際空港に到着したのは深夜24時過ぎでした。翌日の9時頃の便でジャカルタに向かう予定でしたから8時間ほどあります。チャンギ国際空港には乗り継ぎ客用のトランジットホテルがあり、一泊5千円ほどで利用できます。5千円の支出はできないわけでないのですが、状況が状況なだけに気分的にもトランジットホテルを使う気になれません。

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幸いなことにチャンギ国際空港のパブリックエリアには乗り継ぎ客用のスペースが至る所にあり、インターネットも無料で利用できます。インターネットエリアのすぐ横には仮眠スペースもあり、バックパッカーらしき人たちが仮眠を取っていましたが、自分は眠る気にはなれません。

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ジャカルタ撤退の話(1)

7年前の夏、私は大きな決断をしました。インドネシアのジャカルタに1年半ほど前に設立した子会社を解散し、撤退することにしたのです。ジャカルタの子会社には50名近くの社員がいましたので、当然全員解雇することになります。

撤退の理由は日本の事情です。日本の本体の業績が思うように伸びず、急速に資金繰りが悪化していきました。このペースで行くとあと3ヶ月で資金ショートする可能性があるという段階になって、大きなリストラを実行することを決断したのです。資金繰りの悪化は主に日本で生じたもので、不足資金の約4分の3が日本の事情でした。

ですから、社員の中には、「主に日本の事情なのですから、こちらで何とかやりきって、最後までジャカルタのメンバーと一緒に戦うべきです。それが筋です。筋の通らないことはやるべきではありません。」と言ってくれた人間もいました。私も本当にそうしたかった。

日本のメンバーも最後まで全力で取り組んだくれたと思います。ですが、力不足でした。何より私の経営者としての力が一番足りていなかった。

撤退を決め、現地のマネジャークラスの3名にのみ「撤退を決めました。全社員に説明するため8月4日に日本を発ってジャカルタに向かいます。」と連絡をしました。

2006年8月4日の夕方、ジャカルタ入りするため、ユナイテッド航空のファーストクラスで成田から経由地のシンガポールに向かいました。

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『ジャカルタで働く社長のブログ』を7年ぶりに再開するにあたり

7年ぶりにジャカルタに戻ってきました。

戻ってきたというのは「ジャカルタに再進出しに戻ってきた」という意味です。

インターコンチネンタル・ミッドプラザ・ジャカルタからBNI(Bank Negara Indonesia)タワーを望む
インターコンチネンタル・ジャカルタ・ミッドプラザからBNI(Bank Negara Indonesia)タワーを望む

 

2005年の3月に設立した現地法人プライム・ストラテジー・インドネシアを、2006年8月に解散してジャカルタから撤退しました。『解散』とか『撤退』いうとあまりに普通に聞こえます。

実際は、50人の仲間を全員解雇して、現地取引先への支払も止めて、数千万円のキャッシュを吹っ飛ばして、「命からがら日本に逃げ帰ってきた」というのが実情です。
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