ジャカルタ撤退の話(1)

7年前の夏、私は大きな決断をしました。インドネシアのジャカルタに1年半ほど前に設立した子会社を解散し、撤退することにしたのです。ジャカルタの子会社には50名近くの社員がいましたので、当然全員解雇することになります。

撤退の理由は日本の事情です。日本の本体の業績が思うように伸びず、急速に資金繰りが悪化していきました。このペースで行くとあと3ヶ月で資金ショートする可能性があるという段階になって、大きなリストラを実行することを決断したのです。資金繰りの悪化は主に日本で生じたもので、不足資金の約4分の3が日本の事情でした。

ですから、社員の中には、「主に日本の事情なのですから、こちらで何とかやりきって、最後までジャカルタのメンバーと一緒に戦うべきです。それが筋です。筋の通らないことはやるべきではありません。」と言ってくれた人間もいました。私も本当にそうしたかった。

日本のメンバーも最後まで全力で取り組んだくれたと思います。ですが、力不足でした。何より私の経営者としての力が一番足りていなかった。

撤退を決め、現地のマネジャークラスの3名にのみ「撤退を決めました。全社員に説明するため8月4日に日本を発ってジャカルタに向かいます。」と連絡をしました。

2006年8月4日の夕方、ジャカルタ入りするため、ユナイテッド航空のファーストクラスで成田から経由地のシンガポールに向かいました。

「そんな状況でファーストクラスなんか乗ってる場合じゃないだろう。」とお思いの方もいるでしょう。これには理由があります。

当時は渡航直前に航空券を手配するとエコノミークラスであっても正規普通運賃になりましたから、航空券代金だけで約35万円ほどかかります。ですが、ユナイテッド航空の場合、直前になると埋まらない席が、特典航空券としてマイレージで取得できるという仕組みがあったのです。それを利用して無料で取得できたのがたまたまファーストクラスだったというわけです。もちろん、一円でも払いたくない状況ですから。

機内では、成田に行く途中、八重洲ブックセンターで購入した「基礎から学ぶPerlによるWebプログラミング」というプログラミングの書籍をずっと読んでいました。今の私を知っている人の中には意外に思う方もいるかもしれませんが、実はこの当時の私は「PerlもPHPもMySQLもLinux」も全くやったことがなかったのです。すべて日本とジャカルタのシステムエンジニアに任せていたからです。

では、なぜプログラミングの書籍など読んでいたかというと、一つの理由は、そもそもジャカルタへはオフショア開発のために進出したわけですが、撤退して日本もリストラするとなるとシステム技術者がほとんどいなくなるからです。ですが、開発を続けなければ仮にリストラが成功したとしても先はありません。そうであれば自分でできるようにするしか道はありません。

もう一つの理由は、単純に気を紛らわせるため、集中できる何かが欲しかったからかもしれません。

(次回につづく)

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