『ビジネスモデル症候群~なぜ、スタートアップの失敗は繰り返されるのか?』が痛いところを突いてくるので反論など

オフィスを大手町に移転して1年が経ちました。この1年は仕事を取り巻く環境が月次レベルで変化し続けていて、一緒に取り組んでくれているメンバーの皆も大変だろうなと思いながらも、自分自身が環境適合してアップデートできなければ、会社もビジネスもトップの器以上にはならないのだからというプレッシャーの中走り続けてきました。

おかげさまで、この9月からまた大きな一歩を踏み出すことになったのですが、直近、自分の弱さ、未熟さが露見して、大切な人たちを守り抜いて発展させていくためには、さらに自分自身のアップデートが必要だと痛切に感じていたところ(体重も3年前にくらべて5kgほど増えてまして、関係ありませんがといいたいところですが、まぁ、そうだよなぁとw)、表題の書籍を読む機会がありました。

スタートアップはビジネスモデルを手にするから失敗する

この命題が正しいのかどうかは、わかりませんが、書籍の内容の多くの点については、私の実体験に照らして、そのとおりだと思うものが多かったです。実体験については、後述しますが、過去、多くの失敗を繰り返してきた私にとって、「確証バイアスの落とし穴にはまる」とか、「アイデアが本物かどうかがわからない」とか、「経営破綻が先にくる」とか、「手段の目的化」とか、「失敗のループ」とか、「もう、痛いところばかりを突いてくるなぁ」という内容が多く「そんなに傷口に塩を塗り込まなくてもw」と思い反省しながらも、ビジネスモデルが形成されれる過程については、「たしかにそのとおり」と思いました。
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いまの会社を創業してもうすぐ14年になるが、その中で考え方が大きく変わったことがいくつかあるので紹介したい。

前回の記事、「成長によって変わること」の続きです。

いまの会社を創業してもうすぐ14年になるが、その中で考え方が大きく変わったことがいくつかあるので紹介したい。

【人に優しいというのは相手ごとを自分ごととして共感できることだ。】

かならずしも正しくない。

優しさは人に価値を与えられることであり、力である。一見、優しく見える甘さは誰も助けることはできない。相手ごとを自分ごととして認識できるようになるためには、まず自分の力が必要だ。

私は、いまでも「やさしい社長」と言われることがあるが、起業した当時は、本当に「やさしい社長」だった。いや、「やさしい社長」ではなかった。「自分にも他人にも甘い社長」だった。

いまの会社を創業して、4年目のとき、大きな失敗をした。もし、あのときに戻って「力が欲しいか。欲しいのならばくれてやる」と言われたのならば、間違いなく魂を売る。それほどまでに、力は重要だと思う。

【多くの人が言うことは正しい】

かならずしも正しくない。

誰が言っていることなのか良く考える必要がある。インターネットやSNSが発達して、より多くの人たちが自分の意見を表明できるようになった。ただ、その意見は、あくまでその人の今までの学習と経験によるものだ。80%の人たちは、うまくいっていない。その人たちは多数派だ。20%の人たちは、あまり意見を表明していない。彼らはいつも小数派である。

【本当に有益な情報を公開するとパクられるのでしない】

かならずしも正しくない。

有益な情報や考え方を公開しても、共感いただくことはあっても、それをそのまま愚直に実行する人たちはほとんどいない。そもそも情報の洪水の中で、その重要性を判断して、行動にまで移せるものかどうかを判断する能力を多くの人は持ち合わせいない。

仮に、パク…いや、インスパイアされても、あまり困ることはない。多くの場合、その根幹となる前提条件まで単純にコピーすることは困難だからだ。例えば、私たちもお世話になっているWordPressはオープンソースでGPLのプロダクトだ。ほぼコピーして、フォークしたオリジナルのプロダクトとして出すこともできる。しかし、そのブランドやコミュニティをコピーすることは困難だ。

それよりも、共感してくれる人たちを、支持してくれる人たちを増やすことが重要だ。

【最先端のテクノロジーを学ぶことが重要だ】

かならずしも正しくない。

多くの最先端のテクノロジーは一つ下のレイヤーの技術の組み合わせであることが多い。その組み合わせの結果は無数に存在する。それらを追い続けるのは、人間の能力の限界を超える。それよりも、組み合わせの元である原理、原則を学ぶことの方が遙かに重要だ。

私のプロフィールにはたいてい「30年間のプログラミング経験がある」などと書いてある。しかし、これは対外的にわかりやすく説明したものだ。実際には、たしかに30年前から経験があるが、そもそも私は大学も文系で、証券会社の営業マン出身で、会計士補で、経営者だ。技術に当てられる時間は専門技術職の10分の1しかない。だから、彼らに匹敵する技術力を身につけるためには、最新のテクノロジーを追って、コピペ思考で戦っても勝ち目がない。彼らに勝つ唯一の方法は、原理原則で学ぶことだ。

つづきは、またの機会に。

成長によって変わること

中学生とき、国語の教科書で横光利一の『蠅』という文学を学んだ。様々な事情を抱える人々を載せた馬車が崖から転落し、一緒にいた蠅だけが飛んでいくという内容だったと記憶している。当時、何を伝えたいのかさっぱりわからなかったが、中学生の自分には衝撃的な内容で、いまだに良く覚えている。なぜ、この話を中学生に教えようとしたのかは未だによくわからないが、記憶に残るのものであったことは間違いない。

ただ、年を重ねるに連れて、生と死、社会の仕組み、ヒエラルキー、バタフライ効果など多くのことを学んで少しずつその背景は理解できるようになった。

いままで多くの書籍を読んできたが、その内容をどのように理解するかは、読んだ時点の自分によって大きく変わると感じている。

同じように、自分自身の成長によって、今まで正しいと思ってきたことが、必ずしもそうではないと思うようになったり、間違っていると思っていたことが、必ずしもそうではないと思うようになるものだ。

(つづく)

ITベンチャー企業がジャカルタに進出・撤退・再進出、9年間戦って学んだこと

ジャカルタUOB PLAZA「インドネシアでの戦い方セミナー」にて講演させていただきました内容です。

@america

「インドネシアでの戦い方」ということではありますが、内容としては、インドネシアに限らず、他のアジアの国でも、欧米諸国でも、どの国でも本質的には同じことだと思っています。

拙い話ではありますが、これから海外で戦い続けようと考えている日本のベンチャー企業のみなさんのお役に少しでも立ちましたらうれしく思います。

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インドネシアで日本人がコミュニケーションを取る言語は英語か、インドネシア語か、日本語か

日本人がインドネシアに滞在する場合、どの言語でコミュニケーションを取るべきかは難しい問題です。滞在当初はインドネシア語があまり良くわかりませんので、英語以外の選択肢はないと思います。
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ジャカルタの賃貸住宅(アパート)の相場を考える

外国人が不動産を保有することのできないジャカルタで日本人が駐在する場合、住居の選択肢は基本的に賃貸住宅に限定されます。一般的にセキュリティ上の理由や管理の問題もあり、一戸建ての家に住むというのはあまり聞いたことがありません。アパート(アパルトメン)と呼ばれる賃貸マンションもしくは若手であればコスと呼ばれる下宿を借りるのが一般的です。

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日本語の感覚ではアパートというと下宿というニュアンスですが、インドネシアでアパート(アパルトメン)というと日本でいうところの高級賃貸マンションもしくはサービス付アパートメントという意味合いです。

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ジャカルタの渋滞とオフィスの立地を考える

2014年1月にジャカルタ南東部に新しいオフィスを構えましたので、その経緯をお話しようと思います。

2005年に最初に進出したときにはジャカルタ中央部の目抜き通りであるタムリン通りにある日系のスカイラインビルディングにオフィスを構えました。

skyline

たまたま同ビルの4階にある日本食レストラン蘭のオーナーの石居さんが私の母が以前勤めていた会社の社長さんでもあるというご縁から紹介いただき、スディルマン通りにある同じく日系のスミットマスと比較して、すぐに入居を決めました。

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『ジャカルタで働く社長のブログ』を7年ぶりに再開するにあたり

7年ぶりにジャカルタに戻ってきました。

戻ってきたというのは「ジャカルタに再進出しに戻ってきた」という意味です。

インターコンチネンタル・ミッドプラザ・ジャカルタからBNI(Bank Negara Indonesia)タワーを望む
インターコンチネンタル・ジャカルタ・ミッドプラザからBNI(Bank Negara Indonesia)タワーを望む

 

2005年の3月に設立した現地法人プライム・ストラテジー・インドネシアを、2006年8月に解散してジャカルタから撤退しました。『解散』とか『撤退』いうとあまりに普通に聞こえます。

実際は、50人の仲間を全員解雇して、現地取引先への支払も止めて、数千万円のキャッシュを吹っ飛ばして、「命からがら日本に逃げ帰ってきた」というのが実情です。
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