ジャカルタUOB PLAZA「インドネシアでの戦い方セミナー」にて講演させていただきました内容です。
「インドネシアでの戦い方」ということではありますが、内容としては、インドネシアに限らず、他のアジアの国でも、欧米諸国でも、どの国でも本質的には同じことだと思っています。
拙い話ではありますが、これから海外で戦い続けようと考えている日本のベンチャー企業のみなさんのお役に少しでも立ちましたらうれしく思います。
ジャカルタUOB PLAZA「インドネシアでの戦い方セミナー」にて講演させていただきました内容です。
「インドネシアでの戦い方」ということではありますが、内容としては、インドネシアに限らず、他のアジアの国でも、欧米諸国でも、どの国でも本質的には同じことだと思っています。
拙い話ではありますが、これから海外で戦い続けようと考えている日本のベンチャー企業のみなさんのお役に少しでも立ちましたらうれしく思います。
日本人がインドネシアに滞在する場合、どの言語でコミュニケーションを取るべきかは難しい問題です。滞在当初はインドネシア語があまり良くわかりませんので、英語以外の選択肢はないと思います。
外国人が不動産を保有することのできないジャカルタで日本人が駐在する場合、住居の選択肢は基本的に賃貸住宅に限定されます。一般的にセキュリティ上の理由や管理の問題もあり、一戸建ての家に住むというのはあまり聞いたことがありません。アパート(アパルトメン)と呼ばれる賃貸マンションもしくは若手であればコスと呼ばれる下宿を借りるのが一般的です。
日本語の感覚ではアパートというと下宿というニュアンスですが、インドネシアでアパート(アパルトメン)というと日本でいうところの高級賃貸マンションもしくはサービス付アパートメントという意味合いです。
2014年1月にジャカルタ南東部に新しいオフィスを構えましたので、その経緯をお話しようと思います。
2005年に最初に進出したときにはジャカルタ中央部の目抜き通りであるタムリン通りにある日系のスカイラインビルディングにオフィスを構えました。
たまたま同ビルの4階にある日本食レストラン蘭のオーナーの石居さんが私の母が以前勤めていた会社の社長さんでもあるというご縁から紹介いただき、スディルマン通りにある同じく日系のスミットマスと比較して、すぐに入居を決めました。
7年ぶりにジャカルタに戻ってきました。
戻ってきたというのは「ジャカルタに再進出しに戻ってきた」という意味です。
2005年の3月に設立した現地法人プライム・ストラテジー・インドネシアを、2006年8月に解散してジャカルタから撤退しました。『解散』とか『撤退』いうとあまりに普通に聞こえます。
実際は、50人の仲間を全員解雇して、現地取引先への支払も止めて、数千万円のキャッシュを吹っ飛ばして、「命からがら日本に逃げ帰ってきた」というのが実情です。
続きを読む 『ジャカルタで働く社長のブログ』を7年ぶりに再開するにあたり