ITベンチャー企業がジャカルタに進出・撤退・再進出、9年間戦って学んだこと

ジャカルタUOB PLAZA「インドネシアでの戦い方セミナー」にて講演させていただきました内容です。

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「インドネシアでの戦い方」ということではありますが、内容としては、インドネシアに限らず、他のアジアの国でも、欧米諸国でも、どの国でも本質的には同じことだと思っています。

拙い話ではありますが、これから海外で戦い続けようと考えている日本のベンチャー企業のみなさんのお役に少しでも立ちましたらうれしく思います。

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本講演の資料はこちらよりダウンロードください。
「ITベンチャー企業がジャカルタに進出・撤退・再進出、9年間戦って学んだこと~IT活用とマーケティング、人材活用とコミュニケーション~」

以下、講演内容となります。

1.自己紹介

みなさん、おはようございます。本日は、平日の午前中という極めて忙しい時間帯にご来場賜りまして誠にありがとうございます。プライム・ストラテジー株式会社の代表をしております中村けん牛と申します。

私たちプライム・ストラテジーは世界のWebサイトの約20%で利用されているソフトウェアにWordPressというものがあるのですが、このWordPressというソフトウェアを使ってお客様のWebサイトを制作したり、Web系のシステム開発を行ったりしている企業です。東京の大手町とここジャカルタで活動しています。

ところで、みなさん、WordPressですが、知っている方いらっしゃいますか?知ってらっしゃる方いらっしゃいましたら手を上げていただいてもよいですか?そうですか、結構いらっしゃいますね。3割くらいの方はご存じですね。簡単に説明すると、WebブラウザでWebサイトを更新したり、ページを追加したりすることのできるソフトウェアです。

先ほど、世界のWebサイトの約20%で利用されているということをお話しましたけど、たぶん、みなさんの5人に1人の方は会社のWebサイトがたぶんWordPressでできているとおもいますので、お帰りになりましたらぜひ確認してみてください。

で、どういう仕事をしているかというと、たとえば、こちらのように、Bank Negara Indonesiaさんですね。みなさんよくご存じかと思いますが、インドネシアのメガバンクのBNIさんのWebサイトを担当させていただいたり、こちらのMicrosoftさんやAdobe Systemsさんですとか、JTBアジアパシフィックさん、こちらはシンガポールの企業さんですけれど、アジアで活躍されている有力企業さんのWebサイトやWebシステムの開発のお手伝いをさせていただいています。日本国内ではテレビ朝日さんに番組ブログというものがあるのですが、みなさん、ブログというのはどういうものかはおわかりですよね?こちらのテレビ朝日さんの番組ブログなども担当させていただいています。

それから、これは私たちが日本で出版している『WordPressの教科書』シリーズという書籍なのですが、おかげさまで、日本と韓国で累計約4万部くらい売れています。そういう実績もあって、今年の8月にはインドネシア最大のメディア企業のKompas Gramediaさん、みなさんもご存じと思いますが、こちらから今度はインドネシア語の書籍を出版させていただけることになりました。本当にありがたいことです。

2.本日お話すること

はい、ということで、本日は「インドネシアでの戦い方セミナー」ということで「ITベンチャー企業がジャカルタに進出・撤退・再進出、9年間戦って学んだこと」ということをお話するのですが、前半は、ジャカルタに進出、撤退、再進出した経緯を、後半は、失敗から学んだインドネシアで戦い続けるための方法論をお話しします。

その前に、少し今日の話の前提をお話しします。今日、ご来場いただいているみなさんはいずれもインドネシアで活動されている、もしくはこれから活動されるという点では同じですが、業種、業態、規模はばらばらかと思います。また、インドネシアで販売しているのか、生産しているのかも違いますよね。

私たちはBtoBのビジネスです。ですから、お客様は法人です。また、日本とインドネシアの役員からアルバイトまで含めた全員を合わせても40人程度のベンチャー企業ですから、まだスケールしていません。インドネシアでは販売も生産も両方行っています。

ですので、同じような環境の方はそのまま聞いていただければと思いますが、環境が異なれば話の内容も180度違う場合もあろうかと思います。その場合は、みなさんの環境であればどうかなぁということを考えて、聞いていただければと思います。

たとえば、すごく単純な話で恐縮ですが、社用車を持った方が良いのかどうかという点は、すでにビジネスがスケールしているのかどうかによって結論は180度違う可能性がありますよね。私たちのようなベンチャー企業が社用車持つなんて10年早いですけど、大手企業の方で自分の時間の価値が高く、すでにレバレッジが効いている状態であれば、社用車を使って、どれだけ、自分の時間を節約できるか考えることも世界三大渋滞といわれるここジャカルタでは大事なことになるかもしれませんので。

3.ジャカルタ進出、撤退、再進出

(1)旧PMA時代/プライム・ストラテジー・インドネシア(1年6ヶ月)/(100%日本資本)

私たちが最初にジャカルタに進出したのは今から9年前の2005年3月です。いわゆるPMA、外国投資法人として、100%日本資本で旧プライム・ストラテジー・インドネシアを設立しました。当時、BKPM、投資調整庁に行って「誰か英語のわかる担当者の方いますか?」って自分で手続きしたのを懐かしく思います。まあ、若かったいうのもありますけど、怖いもの知らずですよね。私の拙い英語に根気よく対応いただいたのをよく覚えています。

この時は、オフィスをジャカルタ中心部のスカイラインビルディングに構えました。今日、何人かの方はスカイラインビルディングからいらっしゃっていますよね?ええ、そこです。あの日系のフラッグシップのようなビルです。

ですが、この旧プライム・ストラテジー・インドネシアは1年半しか続きませんでした。詳しくは後ほどお話しますが、会社を清算してインドネシアから一度撤退しました。

(2)ローカル企業時代/プリマ・ソフティンド(7年)/(100%インドネシア資本)

その後、当時の従業員で、今日このあと話しするマロワがシステム部門のマネジャーだったのですが、彼に自分のお金でローカル企業を設立してもらいました。パートナー企業、つまり、協力会社として活動してもらうためです。このローカル企業は、プリマ・ソフティンドというのですが、その後7年間、ジャカルタ東部を中心に活動してきました。

(3)新PMA時代/プライム・ストラテジー・インドネシア(6ヶ月)/(90%日本資本、10%インドネシア資本)

昨年になって、もう一度同じ資本で、昔と同じ名前で活動しようということになって、新しいプライム・ストラテジー・インドネシアを設立というか、増資ですね。日本の持ち分が90%になるように増資して社名変更してやることになったんですね。わかりやすくいうと買収ということです。オフィスは、ジャカルタ東部のMT. Haryono通りに構えました。スマンギの交差点から東に5キロほどいったあたりです。

ですので、一度資本的にはなくなってはいるのですが、実質的に9年間、ジャカルタで活動しています。それと、増資というか買収して社名変更したことで、ローカル企業時代の7年間も法的には同一性があることになりますから、都合9年間、プライム・ストラテジー・インドネシアが活動していたということになるんですね。これは、撤退するときにはまったく考えていなかったことなのですが、やっぱり、継続すること、続けることって大事ですね。気がついたら9年間経っていました。

4.ジャカルタ撤退

それでは、一番最初にお話ししなければならないが撤退するときの話かとおもいますので、こちらからお話しします。

(1)撤退までどんなビジネスをしていたのか?

当時は、日本で受注したホームページの制作とかシステム開発のプロジェクトの一部をジャカルタの子会社で行うというビジネスモデルでした。Webサイトの受託開発という仕事ですが、受注は日本、制作はジャカルタです。いわゆるオフショア開発というモデルです。納品する成果物はすべて日本語のホームページやシステムです。お客様はすべて東京のお客様でした。

もう一つは、日本の親会社からの以来で、自社サービスのシステム開発を行っていました。ブログみたいなシステムです。

なぜ、インドネシアかという話は長くなるので割愛しますが、日本での開発つまり生産にコスト的な限界を感じていたので、コストメリットのあるインドネシアに進出してきたというのが最初の動機です。

(2)撤退とは?

全従業員を解雇して、支払いも止めて、キャッシュを吹っ飛ばして、日本に逃げ帰るってことです。

(3)原因は?

日本の販売不振、日本の親会社が3ヶ月後の資金繰りのめどが付いていない状況でした。

戦略的撤退ということばがありますけど、そういううものではないです。単純に日本で負けただけです。完敗です。

しかも、インドネシアの事情ではないですから、こちらの人間にとっては不戦敗です。

当時、オフショア開発(つまりは生産なんですけど)をジャカルタでやっていたメンバーにとっては手の打ちようがなかったと思います。最後の方は、ジャカルタのマーケットに自分たちで販売しようという試みもありましたが間に合いませんでした。

日本の方はというと、最終的に当時のメインバンクの融資が通って、なんとか生き残りました。その後の状況からすると、ギリギリのところで、撤退しないで続けられたかもしれません。ですけど、タラレバです。

だから、基盤となるビジネスが基盤となる場所でしっかりしていないとインドネシアでも戦えません。ほんとうに悔しかったし、恥ずかしかった。ありとあらゆる人に申し訳ない気持ちで一杯でした。

この話をいつか人前で話すことがあるといことなど当時はまったく考えられなかったです。二度と海を渡ることはないと考えていた時期もありましたので。

日本の方でも、この時の損失は約4000万円で、あともう少しで債務超過という状況でした。この損失をカバーするのにその後5年かかりました。

5.進出から撤退まで

当時のインドネシアの事業はオフショア開発で、販売先は日本の親会社だけでしたから、この点で、どうしてもビジネスマインドが上がらなかったという事情があります。生産だけしているので、マーケット感覚がまったくないんですね。受注は日本の親会社任せですから。

それと、業務内容が広すぎました。一口にWebサイトの開発っていってもかなり広いです。しかも、日本のWebサイトですから。日本っていうと日本語だけの問題かというとそうでもなくて、好まれるデザインも違うし、文字の使いかも違う、日本のお客様のニュアンスを含めた内容を、日本語や日本の文化に精通していないスタッフで行うのですから大変でした。思ったよりコミュニケーションコストが莫大でコストメリットがあまり感じられませんでした。日本のブリッジとなる担当者、現地の日本人スタッフ、システム部門のスタッフ、デザイン部門のスタッフ、翻訳・通訳担当のスタッフがいて伝言ゲームになっているんですね。

これが最初に進出したときの話です。いろいろ勉強になりましたけど、うまくいくことはありませんでした。

ただ、後から考えると、人には恵まれていたと思います。

インドネシア人の気質なのだとは思うのですが、撤退して解雇した元従業員といまだに連絡取り合ってるんですよ。というか彼らから連絡くれるんです。私がたまにジャカルタに来るときも何人かが集まってくれて、一緒に食事したりするんですね。で、気がついたら、当時のマネジャーは現地法人の社長ですし、いくつかのお客様先に当時の従業員がいて、私たちのことを話してくれたりしているんですね。それで、仕事になったりもしています。本当にありがたいことです。

6.ローカル企業時代

撤退するとき、当時の従業員でシステム部門のマネジャーをしていた人間に自分の資金でローカル企業を設立してもらいました。このあと話をするマロワです。目的は、日本の自社サービスの開発をジャカルタで継続することです。資本的な関係はないのですが、提携先として協力してもらおうとい目論見です。それと、なんとか自分たちが来た証を残しておきたかったということもあります。本当はこちらの方が強かったかもしれません。

ローカル企業時代は、前回の失敗から学んだことを活かしました。

事業の範囲を狭めて、現地企業向けのシステム開発に特化しました。だいたい、日系企業3割、インドネシア企業7割という感じです。オフショアもやってはいましたが、こちらは私たちの日本法人のシステム開発だけです。

システム開発は主にプログラミング言語を用いて行います。このプログラミング言語もPHPという一つの言語に絞りました。なぜここまで絞るかというと、やはりコミュニケーションと学習コストの点です。PHPという言語はコンピューターの言葉ですが、世界共通です。なので、PHPというプログラミング言語を通じて、日本人もインドネシア人も一つの言語でコミュニケーションをとることができます。説明するときにプログラムのソースコードをみて話をすればだいたい通じます。これによってコミュニケーションコストと学習コストを大きく削減することができました。

で、絞った事業をやっていると、PHPのシステムなら強いという評判にもなってきます。これはあとでお話しますけど、マーケティング的にいうとポジショニング戦略です。

集客は、ほとんどがWebサイトからの問い合わせです。当時も今もですけど、インドネシアでWebサイトからの問い合わせなんて来るのか?と思っていましたが、これが来るんですね。LANのケーブルの工事できますか?といった類いのまったく本業に関係の無い問い合わせが8割くらいだったのですが、それでも月に20件くらいの電話やフォームからの問い合わせがありました。実質4件くらいが本業に関係するもので、そのうち1件決まるか決まらないかという状況です。やはりローカルのベンチャー企業ですから、ブランドや信用の点で、かなり劣っていましたので。それでもWebサイトから問い合わせが来るというのはたいへんありがたいことでした。事業をシステム開発に絞りましたから、プッシュの営業ができる人間もいませんので、そういう企業にはWebサイトを集客ツールにしてプルで戦うというのは大変重要なことだと思います。

ただ、この時代を7年間戦い抜くことができたのは、一番は不必要なコストをかけなかったと言うことです。ブランドがないというのはインドネシアではとても厳しいです。東京であれば設立したばかりの小さな会社でも話は聞いてもらえます。だから、よく日本でスタートアップの環境が余り良くないという話を聞くと、日本ほど小さな会社が戦うのが楽な国はないと思うけどなぁと感じることがあります。

ですので、インドネシアではブランドを補うために、徹底してコストをかけませんでした。つまりは売り上げに見合ったコストをかけるということを徹底しました。当然に社用車もなければ、日本人もいません。オフィスは月3万円くらいのオフィスです。外から見たらどこのバラック?って感じのオフィスです。採用も3年制のコンピューター系の大学を卒業した新卒を、日系企業の賃料相場の半分の給与での採用です。これが良かったのかどうかはわかりませんが、少なくとも今に続きました。

この時代、ブランドがないというのと相まって、もう一つ苦労したことは採用ですね。採用はできるのですが、続かないのです。1,2年会社に来て勉強だけさせていたような人間が、さあこれから現場で力を発揮してもらいたいと思う頃に転職します。この割合が日本に比べて高い。これは打撃でした。

そうこうしているうちに、社歴もそこそこになってきて、実績も少しずつあげられるようになってきて、信用もついて、仕事ももらえるようになってきました。それで、7年たってもう一度日系企業として再出発することになったのです。継続は力なりですね。

7.再進出から今

自社サービスのオフショア開発とインドネシア企業向けのシステム開発を行っています。まだまだこれからですが、おかげさまで順調です。インドネシアでローカル企業として戦ったいた7年間、同時に日本でも東京の企業として7年間戦ってきました。今回はその中で作り上げてきた武器や方法論もすべてインドネシアに持ち込んできています。

最初に会社紹介でお話しした取引実績やインドネシアでの出版などの他、問題であったブランドの欠如や採用の問題についても現在は解決しています。

後半はその理由をおはなしします。それでは、5分ほど休憩を取ります。

8.インドネシアで戦い続けるために

結論からお話しします。

「現地事情とローカライズ」

というのももちろん大事ですが、

一番大事なのは

「日本でもそのやり方をやって通用するか?強みにできるか?」

つまり、

「日本での強みを活かす」

ということになると思います。

日本での強みというのは、すでにブランドやサービス、仕組みがあるのであれば徹底してそれを使う。また、日本で強みを作ってきた、つまり、ブランドやサービス、仕組みを作ってきたプロセスや考え方そのものを活かすということです。特に後半はちょっと難しいかもしれません。

なぜなら、日本でブランドやサービス、仕組みを作ってきた人間が、必ずしもインドネシアに来ているわけではないからです。この場合は、日本で当たり前だと思っていたこと、空気のようにそこにあって普通だと思って気がついていない自社の強みを見直して、あたかも自分で作り上げてきたかのようにシミュレートして考えてみる必要があります。

また、逆にインドネシアならではの事業にチャレンジするのであれば、それは東京でも通用するか?その事業の強みは東京でも通用するか?ということを考えてみる必要があると思います。

9.ブランドとマーケティングについて

私たちのローカル企業時代は、ブランドがないことが大きな悩みでした。ですが、インドネシアでは日系のPMAであるということだけでも大きなブランドです。話を聞いてくれる、決定してくれる確率が全然違います。ブランドが無ければ実質的に門前払いです。仮に話を聞いてくれてもワンオブゼム。5社競合コンペ、価格競争、寝技の世界ですね。

また、大きな会社であれば社名やサービスそのものがブランドになります。そのような会社でもインドネシアでは無名という話も聞きますが、説明してどうして日本でこれだけ支持されているのかをしっかり伝えるべきです。Webサイトでも対面でも。日本では空気のようなものであっても、こちらでは空気ではないですから。

たとえば、私たちの集客のほとんどはWebサイトからの問い合わせか、紹介です。プル100%です。そうすると、よく会社にお問い合わせのお電話がかかってくるんですね。そうすると、電話を受ける方は、電話がかかってくるのが当たり前という雰囲気になってきます。これ、血のにじむような努力してもらった1本の電話なんですね。本当は。でも電話を取った人間にはそのことがよくわかってない。そうすると、無碍に扱うこともあるわけです。電話がかかってくるっていうことが空気なんですね。なんで電話がかかってくるのかわからない。その人間がインドネシアに来ても見込み客に電話かけさせるなんてできるわけないですよね?で、インドネシアは事情が違うっていうわけです。

でも、電話かかってきますよ。普通に。

10.ポジショニングについて

私たちの事業はシステム開発です。いわゆるお客様のホームページやERPなどのシステム開発を行っています。ただ、それだけやっているかというと別です。システムが稼働するサーバーのホスティングや保守サポート、インターネット広告、Webデザインなんかもやっていますし、収益源としてはサーバーのホスティングや保守サポートが一番の収益源になっています。実は一番の収益源はシステム開発ではないんですね。

私たちの場合は、マーケティングでいうポジショニング戦略を徹底しています。これは日本でもインドネシアでもです。ただ、ポジショニングとしては、サーバーのホスティングや保守サポートではなく、システム開発でもありません。ジャカルタでは「インドネシア唯一のWordPressコンサルタント企業」、東京では「東京唯一のWordPressコンサルタント企業」です。WordPressというのは世界のWebサイトの20%で利用されているソフトウェアです。このソフトウェアに関しては誰にも負けない、No.1であるというのが最大ののブランドであり、ポジショニングです。

本当は多くのSierやシステム開発会社さんの中には私たち以上の企業も多くあるのですが、彼らは何でもやっています。だから、WordPressのNo.1企業に頼みたいというお客様の目には入りません。ですので、そういうお客様から直接引き合いが入ります。そのお客様のWebのプロジェクトを受注して、サーバーのホスティングや保守サポート提案します。収益的にはそれほどでもないWebのプロジェクトでもサーバーのホスティングや保守サポートは必要ですから、そっちから収益を得るという構図です。その入り口がWordPressというソフトウェアです。

このポジショニング戦略で、Bank Negera Indonesiaさんからもマイクロソフトさんからも受注を獲得していますし、Kompas Gramediaさんからの出版も実現させています。実は、今日この後、夜にパシフィックプレースのイベントホール@Americaで講演をします。こちらは完全にローカルのWordPressコミュニティ向けの講演なのですが、なぜ私がパシフィックプレースの権威あるイベントホールなんかで講演できるかというと、理由は同じです。これは、これからのインドネシアのローカルマーケットに大きく影響する講演です。

つまり、インドネシアでもポジショニングできればブランドにもマーケティングにもなるということです。

11.IT事情とマーケティング

9年前、最初に導入したインターネット回線はTelekomのADSLで384Kbpsでした。実際の速度は良くて200kbpsです。平均すると100Kbps。しかも不安定です。昔のテレホーダイやISDN時代のインターネット回線を数十人で共有するといった状態です。これでも月額2万円くらいしました。そこで、当時安定性に定評のあるNTTさんのADSLを導入しました。512Kbps、3万円です。多少の改善はありましたが、焼け石に水でした。そこで、1Mbpsの専用線、2社共有というのを導入しました。10万円です。速度はそこそこですが、圧倒的に安定していました。最初から導入すればよかったです。この間、インターネット接続での待ち時間がどれくらいあったかと思うと卒倒しそうな感じです。

最近はというと3GやLTEのモバイル回線もありますので、出先でも場所を選べば結構つながります。現在のオフィスでは8Mbpsの光ファイバーの回線を導入しています。登り下りとも上限近くまでスピードもでますし、安定しています。だいたい月額3万円です。8Mbpsってどれくらいかというと、3人同時に日本の動画を見ても問題ない水準です。日本までインターネットを使った通話、IP電話とかラインとかスカイプとかですが、こちらも今ジャカルタにいるって言わなければわからないくらいの品質で安定してつながります。弊社の現在のオフィスはスマンギの交差点から5キロほど東にいったところです。ジャカルタの中心部からはちょっと離れています。ですけど、ここで光ファイバーの回線が入るんです。他所は場所を選ぶ必要がありますが、インターネット環境はすごく良くなりました。

インターネット環境にはぜひ投資することをおすすめします。現在はインターネットの接続をまっている時間やメールの送受信をまっている時間は大幅に減りました。これ、社内の全員に適用されるのですね。全員の時間が節約できるだけではなく、コンピューターを待っているという時間がないので、ストレスもないですし、自分の方が待たせていることが多くなるので、やっぱり生産性の意識も高まりますので。

そういうところから、弊社ではスタッフが使うPCにもそれなりに投資しています。これも同じ理由です。最新スペックのデスクトップPCにディスプレイは1人2台です。これ、1人分そろえて10万円くらいです。最近はPCの性能が限界に近づいてきているので、3年以上持ちます。今、ジャカルタでは9年前にくらべて賃金水準も2倍近くありますので、生産性の向上は以前に比して重要になってきています。9年前はちょっとシステム投資するくらいなら力業で人集めてやればいいんじゃないのという雰囲気もありましたが、今は違います。ですから、生産性の向上と、そういった意識を醸成するためにもPCなど簡単に生産性が上げられるようなものには投資した方が良いです。この話は私だけの感覚では無くてお客様とお話ししているときにもよく上がるようになってきました。これ以上、従業員を採用できないから生産性向上させないといけないので、システム化が必要という話ですね。そういった引き合いがだいぶ増えてきました。

それから、ITとマーケティングですけど、Webサイトしっかり作った方が良いです。最初の方でも話しましたけど、弊社ではここ7年くらい前からWebサイトを見たお客様からの電話やフォームでの問い合わせが毎月20件くらいあります。これ馬鹿にできない数字ですよね。うちは結構SNSとかオフラインのイベントなんかでもマーケティングしていますけど、最終的な問い合わせは基本Webサイトからです。ですので、Webサイトにはしっかり投資するといいと思います。

12.人材採用について

ローカル企業時代に一番困っていたのがブランドの問題と人材採用でした。大手企業のような待遇はそもそも出せないですし、仮に同じでしたら大手に取られます。なので、コンピューター系の3年制の大学を中心に新卒を採用していました。給与水準は大手企業の半分です。

で、1年か2年くらは少し先輩の手伝いをしながらもっぱら勉強するんですね。最初から実務レベルでできる人はそうはいませんので。で、1,2年してやっと一定の仕事を任せてもいいかなというころに退職です。「相談があります。」これ聞いたことがある人も多いんじゃないかと思いますが、9割方退職の話です。で、一応引き留めるんですが、すでに転職が決まっているんですよね。まあ、うちは学校かボランティアかと。

ただ、これ、しょうが無いですね。会社に魅力無いんですから、その上、見合った給与も出せていないのですから。

ところが、ここ1年くらいはほとんど退職者いないんです。もう一度PMAになるかもという話が出たあたりからですね。ただ、もちろんPMAということだけでもそれなりの魅力はあるんでしょうけど。やはり、日本でやってきた実績と一番大きいのはポジショニングも持ち込んできたからかと思っています。インドネシア唯一のWordPressコンサルタント企業がアジアNo.1をジャカルタから目指します。っていうのは、大きなロイヤリティの理由になっているんだと思います。もともと違う仕事ではなくて、いままでやってきたことをより絞って1番だけ目指すって言うことですので、やってきたことも無駄になりませんし、方向性が明確ですからね。あ、給与水準は変わってないです。

さらには、以前いて外資系の会社に引き抜かれてしまったエンジニアも戻ってきてくれたり、インドネシアのWordPress業界で一番有名なコミュニティリーダーもうちに入りたいっていって入社してくれたり、180度変わりました。

これには私たちが日本の業界のコミュニティでの活動の実績やコミュニティからそれなりに支持されているっていう理由もあるのですが、その原因はというとやっぱりポジショニング戦略なんですよね。そうするとそのブランドやビジョンに共感する人材が集まってくると言うことです。これは日本でも同じです。先ほどインターネット環境やPC環境、Webサイトなどに投資すると良いという話をしました。これは、生産性の観点からも重要なのですが、私たちはIT企業ですから、実は人材採用面でのポジショニング戦略でもあるんです。

それと、ちょっと違う視点の話なのですが、私たちが9年間続けられた最大の理由でもあるのですが、この後話をする現地法人の社長のマロワの存在があります。彼は、大学、大学院と日本で学んで、就職も日本の大手システム開発会社です。5年間日本で働いてからジャカルタに戻ってきました。それで、私たちの会社のシステム部門のマネジャーとして入社してくれたのですが、彼の存在は大きかったです。彼の人柄というのもあるのでしょうが、やっぱり、日本や日本企業の考え方を熟知していますし、同時にインドネシア人ですからインドネシアの考え方や習慣なんかももちろん精通しているわけです。

インドネシア人は日本人に最初から本心で話したりしませんので。これ、恥ずかしがってというのもありますし、言語の問題もあってニュアンスが伝わらないと行った事情もあります。ですが、彼がいるおかげで、社内の人間やお客様が何を考えているのかよくわかりました。だから、私もそれを踏まえてコミュニケーションするわけですね。これは本当に助かりました。

つまり、本当に信頼できて理解し合えるインドネシア人を仲間に持つことはとても大事なことだということです。できれば、日本での留学や就業経験があればなお良いです。ただ、こういう人材はなかなか見つからないですよね。なのでどんな手を使っても見つけるべきと思います。私たちの場合は今日はそいういご縁でもあるのですが、某大手J社さん、ってどこのことかすぐわかるとおもいますが、人材紹介会社さんですね。そちらにお願いして見つけてもらいました。当時、4名の日本での留学もしくは就業の経験のあるインドネシア人スタッフを紹介してもらったのですが、マロワを含めてうち3人とはいまでもよくつきあっています。あ、この会場にも一人います。今は別の日系の大手企業で、マネジャーとして活躍しているそこの彼女です。

ですので、中心となる信頼できるインドネシア人は人材紹介会社さんに強力にプッシュして紹介してもらうといいかもしれません。少し宣伝になっているかもしれませんが。

13.営業について

私たちが営業に行くときに気をつけていることが2つあります。

一つは、スーツで行くこと。今の私のような格好ですね。これ、たまに日本人からもインドネシア人からも言われるんですが、「中村さん、この常夏のジャカルタでそんな格好して頭おかしいんじゃないの?」ということです。でも、おかしくないです。東京の夏はジャカルタとそうかわりません。もちろん、東京でもクールビズっていうのがありますけど、私たちはいつも上着もネクタイも着用です。なぜか?その方が受注できるからです。これにはIT業界特有の環境というのもあります。どういう環境かというと、競合他社がみんな、おしゃれな格好とか、ラフな格好とかで来るんですね。ジャケットにチノパンとか。そうすると目立つわけです。あー、あのスーツ軍団ねって。それで、彼らは堅そうでおもしろくなさそうだけど、信頼できそうだって。

ジャカルタだと、ほぼ飛び込みに近いような訪問でも、通してくれる確率がかなり上がります。セキュリティーや受付の人も「ああ、どうやら外国のエグゼクティブが来ているみたいだから、無碍に扱ったらまずいな」って思うみたいです。実際、ある大手企業さんに、普通は絶対飛び込みとかで話なんか聞いてくれないとこに、間違えて飛び込んじゃったことがあるんですね。それで、たまたまアポ取っていた人と、同じ名前の人がいて、その人つかまえて40分くらい商談していたんですよ。そしたら、40分後にその会社は500メートル先の別の会社だってことになって、急遽そちらに行ったんですけど、こういうこともあるわけです。あ、本当の商談の方は、結局1時間遅刻しましたけどなんとかまとまりました。

それと、余談ですけど、社員の結婚式なんかに行く場合でも喜んでもらえることが多いです。外国人のエグゼクティブみたいな、ホントはエグゼクティブじゃないですけど、ボスが来てくれたってご両親が思うようです。

もう一つは時間です。5分前に到着するようにしています。これ、日本でも最近結構遅刻って多いですから、これだけでアドバンテージです。だって、競合他社が、ラフな格好で、ノーアイデアで、遅刻したりするんですよ。こんなことあったら最初から勝負決まってますよね。ジャカルタでも同じです。こちらは世界三大渋滞の一つという交通事情の問題がありますから、結構時間にはうるさくないですけど、いつも時間前に来るって珍しいからかなり目立ちますよね?なので、だいたい30分前には着くようにして、早く着いたら現地でロープレとかミーティングとか一人の時はノートPCで仕事とかしています。そうすると、すごく印象いいです。

14.コミュニケーションについて

これ、人材採用の話で少ししましたけど、一番は信頼できるインドネシア人のブレーンを持つことが大事だと思います。

もう一つはどの言語でコミュニケーションするかってことですけど、可能であればインドネシア語が一番ですね。これは企業環境よっては英語という選択肢もありますけど、やっぱり、インドネシア人と日本人にとって英語って第二、第三言語なんですね。たしかに、インドネシア人の英語は日本人に比べてよっぽど良いとは思いますが、やはりお互いネイティブではないですから、なかなか厳しいなあというのが実感です。それと、私もたまに英語使いますけど、発音が上手ではないので、彼らにちょっと聞き取るのがストレスだそうです。そういう状況で良好なコミュニケーションはなかなか難しいですよね。お客様先や取引先なんかでもへたくそなインドネシア語でも一生懸命話しているというは良い印象を持たれる機会が多い気がします。今まで、日本語とインドネシア語だけでだいたい通してきましたけど、困ったことは特にありませんし。

15.オフィスと通勤について

最初に進出したときはスカイラインビルディングにオフィスを構えていました。その時はあまり、渋滞のことは考えていませんでした。目抜き通りのタムリン通りに日系の立派なオフィスですから、スタッフも喜んでくれているに違いないと思っていたのですが、のちのちそうでもないということがわかりました。

これはジャカルタ特有の話かもしれませんけど、渋滞はやっぱり頭痛の種です。皆さんもすでにご存じかと思いますけど、スタッフの多くは郊外からの通勤が多いですよね。で、バスやバイクで片道2時間かかるって言うのもざらだと思います。実際に自分が彼らの通勤経路と同じ道を朝夕の渋滞の時間に通ってみてわかったのは、これ、会社についた瞬間に一日の目的の半分が終了しているということです。おまけに、社用車でもタクシーでもないですよね。彼らの通勤は。エアコンなしのすし詰めバスとかバイクです。しかも悪路ですし、雨なんか降った日にはぬれるだけじゃなくて、水たまりや洪水で通行止めのところを迂回しての出勤です。ずぶ濡れで片道3時間なんてもう目も当てられないです。

ですので、今はジャカルタの中心部と、スタッフの多くが住んでいる地域の中間あたりにオフィスを構えています。渋滞がそれほどは酷くない立地です。これで、ジャカルタ中央部にオフィスを構えるのに対して、だいたい一日2時間近く、スタッフの通勤時間が短くなるんです。これ大げさじゃないですよ。結局のところ、今日の仕事をするのは彼らですから。もちろん、朝夕の渋滞のとき以外は中心部まで30分から45分くらいでは着くところです。朝夕の渋滞のときだと1時間近くかかるんですよね。しかも、賃料も安いですし。私たちの場合はIT企業というのもあってインターネット環境も重視していますが、ここは光ファイバーも入ります。

ですので、これからオフィスの新設と移転をお考えの場合は、このような事情もぜひ参考になさってみてください。

16.まとめ

最後にお話ししたオフィスと通勤の話のように

「現地事情とローカライズ」

というのももちろん大事ですが、

一番大事なのは

「日本でもそのやり方をやって通用するか?強みにできるか?」

つまり、

「日本での強みを活かす」

ということになると思います。

私たちの場合、一番強いのはポジショニング戦略なので、これを徹底して今日も戦っています。

最後になりましたが、7年半前にジャカルタから撤退した私たちが、ここジャカルタに帰ってくることができて、みなさんの前でお話をすることができて本当にうれしく思っています。

インドネシアのすべてに感謝します。

ご静聴ありがとうございました。

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