ジャカルタ撤退の話(3)

シンガポールからジャカルタへのフライトは1時間ちょっとです。前日からの疲れと出発前の騒動が重なってか、目が覚めたらスカルノハッタ国際空港でした。

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平日だと激しく渋滞する高速道路も日曜日のためか、うそのように空いていて、市内まで20分くらいで到着しました。そのままマネジャーの2人と話をして、今後の段取りについて打ち合わせしました。

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ジャカルタ撤退の話(2)

シンガポールのチャンギ国際空港に到着したのは深夜24時過ぎでした。翌日の9時頃の便でジャカルタに向かう予定でしたから8時間ほどあります。チャンギ国際空港には乗り継ぎ客用のトランジットホテルがあり、一泊5千円ほどで利用できます。5千円の支出はできないわけでないのですが、状況が状況なだけに気分的にもトランジットホテルを使う気になれません。

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幸いなことにチャンギ国際空港のパブリックエリアには乗り継ぎ客用のスペースが至る所にあり、インターネットも無料で利用できます。インターネットエリアのすぐ横には仮眠スペースもあり、バックパッカーらしき人たちが仮眠を取っていましたが、自分は眠る気にはなれません。

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ジャカルタ撤退の話(1)

7年前の夏、私は大きな決断をしました。インドネシアのジャカルタに1年半ほど前に設立した子会社を解散し、撤退することにしたのです。ジャカルタの子会社には50名近くの社員がいましたので、当然全員解雇することになります。

撤退の理由は日本の事情です。日本の本体の業績が思うように伸びず、急速に資金繰りが悪化していきました。このペースで行くとあと3ヶ月で資金ショートする可能性があるという段階になって、大きなリストラを実行することを決断したのです。資金繰りの悪化は主に日本で生じたもので、不足資金の約4分の3が日本の事情でした。

ですから、社員の中には、「主に日本の事情なのですから、こちらで何とかやりきって、最後までジャカルタのメンバーと一緒に戦うべきです。それが筋です。筋の通らないことはやるべきではありません。」と言ってくれた人間もいました。私も本当にそうしたかった。

日本のメンバーも最後まで全力で取り組んだくれたと思います。ですが、力不足でした。何より私の経営者としての力が一番足りていなかった。

撤退を決め、現地のマネジャークラスの3名にのみ「撤退を決めました。全社員に説明するため8月4日に日本を発ってジャカルタに向かいます。」と連絡をしました。

2006年8月4日の夕方、ジャカルタ入りするため、ユナイテッド航空のファーストクラスで成田から経由地のシンガポールに向かいました。

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