一縷の望みを託して~ジャカルタ撤退の話(4)

「私たちはいつか必ずジャカルタに戻ってきます。」

これが、私の子会社の社長としての最後の言葉でした。

今回のジャカルタ滞在には子会社の解散以外にもう一つ裏の目的がありました。それはジャカルタでの開発を継続することです。今まさに解散の手続きを進めている以上、表だって進めるわけにはいきませんでしたが、何人かに開発を継続できないか打診していました。

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いつかジャカルタに戻ってくるためにも私たちのDNAをタイムカプセルに入れて残しておきたかった。

そうはいっても、今すぐは何の支払いもできませんし、保証もできません。まったくもって都合の良いお願いだったと思います。もちろん、無理な話というのは私も重々承知していました。

そんな中、当時のマネジャーの一人のMさんが「やりましょう」といってくれました。彼は自分が解雇されてその立場を失った後も、私がジャカルタを去った後も、最後まで一人残って解散の手続きを進めてくれました。ブログの記事には書きませんが、というより書けない修羅場がそれなりにはありました。彼は文句一つ言わず、その修羅場に対峙してくれました。

最終的に彼は自分と何人かの元部下からお金を集めてローカル資本の別会社を設立してくれたのです。もちろん、彼自身の考えや目論見もあったのでしょう。ですが、彼にはネイティブに匹敵する日本語能力も高度な技術力もありましたので、就職すれば、ジャカルタでは何不自由ないレベルの年収を得ることも可能でしたから、金銭的なメリットはまったくありません。

私はMさんに一縷の望みを託してジャカルタを後にしました。

その後しばらくして、Mさんから新しく会社を設立したと連絡がありました。

私は涙が止まりませんでした。

彼は、自分の会社の名前に、略称にすると解散した子会社と同じになる名前を付けてくれたのです。新しい会社のロゴは解散した子会社のロゴを反転させたものでした。

(次回につづく)

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